ブックヨミヨミの読書感想ぶんぶん

雑食系の読書感想文!

水城せとな 『俎上の鯉は二度跳ねる』をヨミヨミ。

今週のお題「好きな漫画」】

こんにちは!

ブックヨミヨミです。

 

今日は

水城せとな 著

『俎上の鯉は二度跳ねる』

について書きます。

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マンガです。だいぶ前の作品です。

水城せとな氏の作品は

松潤石原さとみさんのドラマで有名となった

失恋ショコラティエを読んでいます。

 

とても切なくて、

どこかしら上手くいかない人生が

愛おしく思える

まさに甘くて苦いチョコレートのような

作品でした。

 

それ以前に書かれた本作。

『窮鼠はチーズの夢を見る』の続編。

 

このシリーズの評判が気になっていたので、

本当は2冊順を追って読みたかった。

本屋で偶然見つけたので下巻に当たる

当書のみを買ってしまいました。

 

初版は2009年5月。

私の持っているのは2018年1月17版。

多分、まだまだ売れ続けると思います。

それほど力のある作品です。

 

10年前の作品を今読んでも色あせない。

それどころか、

この作品にすっかり酔ってしまいました。

今後数年は酔いから醒めないだろう。

 

簡単なあらすじは以下です。

 

 主人公の男性は後輩の男性に猛烈にアプローチされ、

 紆余曲折を経て、事実上付き合うかたちとなって

 いる。

 

 後輩は主人公に何年も片思いし、愛しすぎていた。

 主人公は戸惑いながらも、後輩が尽くしてくれる

 日常に満たされた思いを感じている。

 

 当初はただ流され受け入れただけだったが、

 能動的に主人公から後輩を求めるようになり、

 そんな自分に当惑を覚える。

 

 そこに主人公に気のある女性が登場する。

 もともとノーマルな主人公はその女性に

 惹かれはじめる。

 

 そのことに気が付いた後輩は、

 いずれ主人公がその女性のもとに行くであろうと

 予測し、耐えきれずに自ら別れを切り出す。

 

 主人公はあっさり別れを受け入れるが、

 後に別れたことに傷ついている自分を自覚する。

 その傷ついた主人公を慰めた件の女性と交際すること

 になる。

 

 ある事件が起きたことで、主人公と後輩が

 再度顔を合わせる。

 いろいろな葛藤を乗り越えて主人公は後輩と

 生きて行く道を選択する。

 

読んであと、少し寝た。

夜中に目が覚めて、眠れなくなった。

両目から涙があふれて、

顔の左右からまくらに流れた。

 

後輩はかつての私と同じだった。

 

恋人のことが、

この世の誰よりも好きで好きで、

この世の全てだった。

だからこそ、

嫌われるのが何より恐ろしかった。

 

相手を何度も試して疲れさせ、

あげくに先手を打って

自分がこれ以上傷つかないよう

自から壊してしまった。

そのあとには後悔以外なにも残らなかった。

 

そんなとうの昔に忘れてしまった記憶が

よみがえった。

  

また、

主人公の後輩に対する思いの覚悟に

胸が締め付けられた。

 

主人公と後輩は共に生きることを選ぶが、

主人公は後輩が自分のことを理解できないと

確信している。

 

後輩がまた二人の関係に耐えられなくなり、

主人公から逃げ出すことも予測している。

 

共に居ながら、

同時に大きな孤独を抱えることにもなる。

 

それでも、この先になにがあっても

関係を続けていこうと腹をくくる。

どうしようもない報われなさを

自分の中で肯定して相手と向き合っていく。

 

恋愛のやっかいさは、

相手に期待し求めて止まないこと。

自分の願いが満たされない時に

人はひどく傷つく。

  

事件に巻き込まれて入院している女性の元へ

別れを告げに行く途中の主人公の独白が秀逸だった。

私が思っている恋愛の何たるかを表している。

 

 ー恋っていうのは  幸せになるために

  するものなんだと思っていたよ

 ー…とんだ子供じみた 夢想だったな

 ーこれが恋愛か? 本当に?

 ーこんな 体の芯から

  おしつぶされそうな痛みを

  抱えることが?

 ー足下から根こそぎ全部

  もっていかれるような

 ーほかの荷物は 

  何も持てなくなるような 

  苦しさが?

 ー冗談じゃない

  こんなものが恋愛なら

  もう二度としたくない

 ーこれが恋愛なら

 ー恋愛は 業だ  

 

主人公はノーマルな自分がゲイの後輩を

彼の納得の行くかたちで愛しているかを

疑問に感じている。

 

後輩はノーマルな主人公に負い目を感じ、

罪悪感や不安、嫉妬を払しょくできず、

途方もなくつらい思いをしている。

 

当作品での恋愛関係における大変さは、

同性同士の恋愛であることの難しさが

大きな要因だ。

 

しかし、

社会的にノーマルであると認められている

異性のパートナー同士でさえ、

 

社会的な常識に翻弄されていないだろうか?

お互いを理解できているだろうか?

相手の願いを叶えているのだろうか?

 

先に挙げた問いは通常の人間関係でも

問題になる部分だ。

人間関係においての普遍的な問題が、

恋愛だとより色濃く出てしまう。

 

恋愛は他者との濃密で深い関わりだ。

イヤというほど相手との違いを感じる。


それでも一緒にいるために、

必死で相手の理解を試み、自らを省みて

変化していかざる負えなくなる。

急速に自分が自分でなくなってしまう。

 

これ程、人生において人として変貌をとげる

イベントはあるだろうか?

 

生きている時間が長くなるにつれ、

愛する人も代替可能であることを学習する。

私の場合、好きな人を好きになり過ぎてしまう

傾向があり、一人のほうが何かと楽だと

気が付いてしまった。

 

だからと言って、恋愛を否定している訳ではない。

気持ちが高揚するような「熱い恋愛」だけではなく、

互いに静かに愛着を持って「慈しむ恋愛」だって

あることは知っている。

 

誰かを好きになることで、世界が変わる。

恋愛をしない人が多くなったと言われている昨今。

それでも願わくば、恋愛はおおいにしましょう!

と言いたい。

 

主人公と後輩は互いの全てをさらけ出し、

それを受け入れ慈しみ、

何度も壊れそうな関係を修復し、

共に生きて行くだろう未来を感じさせる。

 

それでいて、

終盤での主人公の独白にこんな言葉がある

 

ーお前は いずれ 投げ出すだろうな

 来週か 20年後か

 もっと早いか もっと遅いか

 ~

 それでもいいよ

 俺は お前の背中を見送る

 この恋の死を 俺は看取る

 ~

 俺にできるのは

 それくらいしかないから

 

ハッピーエンドにスパイスをかけ、

読者の心に爪痕を残す。

 

焼け落ちてしまいそうになるほど

身も心も愛し愛されたくなったら、

この『俎上の鯉は二度跳ねる』を

読んで見てはいかがでしょう?

 

人間詰まる所孤独だ。

それでも、

誰かに対する愛おしさを

いつも忘れない人生でありたい、

そう願っている。

 

 

PS

この作品では、

主人公と後輩が恋人として愛し合う描写が

かなり詳細かつ大胆に描かれている。

心の変遷を語る上で欠かせないファクターだ。

そのような描写が苦手な人もいるかもしれない。

愛し合うもの同士が全てを求める事が自然である

事実を前提に読んで欲しい。

 

また、主人公の心情の掘り下げがかなり

きっちりしている。

主人公はまるで哲学者のように達観していたり、

自分や恋人の心情を分析・サマライズしたセリフ

を吐く。 

それがとんでもなく名言で、私がこの作品に

酔ってしまった理由でもある。

こんな作品を創ってしまう著者に驚愕する。

 

マンガらしくコミカルな表現は多々あるが、

もしこの作品を文字起こししたなら、

どこぞやの純文学作品に匹敵するような

秀逸さだと思った。

 

本当に、名作だ。