ブックヨミヨミの読書感想ぶんぶん

雑食系の読書感想文!

苫米地英人 『脱・洗脳教育論』をヨミヨミ。

こんにちは!

ブックヨミヨミです。

 

今日は

苫米地英人 著

「脱・洗脳教育論」

について書きます。

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苫米地氏については、

多彩なテーマによる著書があります。

 

当書の題名になっている洗脳についてや、

コーチング、近代歴史、認知科学、哲学、宗教、コンピューターサイエンス等々…

常人では測り知れない天才です。本当に。

 

私は、苫米地氏の著書から多大な影響を受けています。

だからこそ、あまり感想文を書くことには積極的でない気持ちでいました。

圧倒されてしまっていて、どう書いても満足いく内容にならないからです。

 

でも、今回は不十分な内容でも書きたいと思いました。

読後の熱量が、「書け!」と駆り立てるからです。

 

前に東京大学の一般講座について書きましたが、

そこに行くきっかけになったのも苫米地氏の著書でした。

教養の大切さを痛感したからです。

 

私は中学校まで学校の先生になりたいと思っていました。

人前で偉そうに自信満々に教えていてることをいいなと思い、

公務員として社会的信用と安定した収入があるのは魅力的だったからです。(爆)

 

しかし、中学途中まで良かった成績は急落して進学校には進めず、

高校に至っては理数系全て赤点という事態に…(汗)

 

こんな私でも、小学校のころは「神童」と言われてました(汗、汗)

授業は聞かなくても全て理解してしまっていて、

先生を無視して勝手に自分なりの説明を始めたりしていました。

今思えば授業クラッシャーですよね。

 

授業参観で他の父兄から「あの子は病院につれていったほうがいい」と

言われた事があったらしいです。

成績が良かったので、別の父兄に説得されたらしいのですが。

(ちなみに説得してくれた父兄は大学教授でした)

 

私は今の自分に満足していて、人生に「たられば」が無いのは理解していますが、

可能性や才能を伸ばせる環境があれば、

もっと社会貢献ができる人材になっていたのではないかと思ったりします。

 

毎年、4月に新卒の新入社員が入ってきますよね。

私はみんな同じ服装や、厳しい就職活動を勝ち抜いたぞーという浮かれ具合が

なんだかな~と思っています。

 

よく考えたらおかしくないですか? こんな画一化した採用人事。

私が今どきの大学生なら、在学中に自分の人生で本当にやりたいことを見極め、

起業するか、夢実現の為に必要な企業に就職します。

(今だから言えることですが…)

 

一般常識的な価値観に沿っていい会社に入ったところで、

自分らしくいられないなら苦しくなって会社を辞めることになります。

 

しかも、上司と言われる人のほとんどが、

部下の指導方法を心得ていないと思っています。

十分な知識を与えず、頭ごなしに怒ったり、人前で罵倒したり…。

 

きっと、上司の方もそのように新人のころに対応されたのでしょう。

そして、一生懸命に仕事を覚えて現在がある。

それが良い、正しいと思っているからやっているわけですよね。

それが会社の文化だったりする場合が多々あるようです。

 

みるみる萎縮して、怒られないように型にはまっていく新人を

悲しい気持ちで見ています。

上司の役割は、部下のポテンシャルを伸ばしてなんぼじゃないの?

潰してどうするんだ、と思っていても口には出せません。

 

なんだか取り止めない事を書いていますが、

私の小学生の頃の話と、社会人の新人の話で言いたいことは、

「画一化した教育」と「画一化したモノサシ」に対する疑問です。

 

当書を読んで、

自分の幼少の頃の実体験から社会全体に対する理不尽に感じている思いが、

とても腑に落ちました。

 

昨今、教育現場の不祥事がニュースとして報道されます。

生徒同士のいじめ、教師の性犯罪。組織ぐるみの情報隠蔽

大事な大事な子供たちをこんなところに通わせねばならないなんて、と

腹が立ちます。

 

子供たちのことを心から大切に考えれば、大量な問題を早急に解決できることは

最優先事項なはずなのに、いつまでも問題は放置されたまま。

学校が悪い、親が悪いと責任のなすりあい。

国や政治は何やってるんだ?

 

当書は、日本国民が「おかしい」と思っていることに対して、

そこに至る日本の国としての構造的問題の種明かしと教育のあるべき姿、

そして理想の未来があります。

 

常識をくつがえされる、衝撃の内容です。

人によっては受け入れがたいと思うかもしれません。

 

当書は以前に出版されていて、読んだ記憶があります。

今回、苫米地英人コレクション②として特別付録付きで再度出版された本です。

 

今、日本を取り巻く状況が不安定に変化していることは周知の事実。

「戦争」の二文字にリアリティを感じるようになり、

多くの人は今後に不安を感じていると思います。

 

そのような現状に当書はとてもタイムリーな内容です。

「国家」と「教育」が密接に関連していることが良く判り、

問題を解決する一つの方向性を示しているからです。

 

当書の中で、教育と洗脳の違いについて以下としています。

「教育」は本人の利益のため

「洗脳」は誰かの利益のため

 

日本の教育の問題がどこに起因してるかが書かれています。

からくりを知ることで、冷静な視点を持つことが出来ます。

同時に、読者自身の包括的な知性も試されるような気持ちになります。

決してゆるくないです。読者も真剣勝負になります。

 

当書を読むと、一般の教育書が対処療法的で水掛け論であるように感じます。

何か問題を考える場合、枯れた枝だけみてもダメです。

木も森も環境全体を見なければいけないことは想像に難くありません。

 

私もそうですが、大体の場合、大変なので考えるのをやめてしまうと思います。

圧倒的過ぎて、自分がその問題を解決するには影響力が微力すぎると思って。

そして、抵抗せず居心地のいい現状にぬるく生きていくのです。

それでいいのだろうか?

 

私は常々、人に優しい人間になりたいと思っています。

知性のある人間は多様性を受け入れ、常に他人を尊重していると思っています。

誰かを傷つけたりする人は、人格以前に知性(知識)の欠如が大きな要因に

なっていると感じています。

 

大人である我々は、今以上に学び、自分の生き様で示す必要があると思います。

自分の為だけではなく、未来ある子供たちの為に。

 

本の内容より、自分の思い語りになってしまいました。

本書に関しては、とにかく読んで欲しいと言うことです。

読んで見て、自分の中にいろんな感情や思考が

ごうごうと沸き立つことになったからです。

 

皆さんは当書を読んで何を考え、どう感じるのでしょうか。

影響力というか破壊力満点です。

 

ちなみに、東京大学で受けたインド哲学の公開講義の内容が

当書を理解するのに役立ち、うれしく思いました。

 

当書はただの教育論に止まりません。

ゲシュタルト崩壊おこすかもしれません。

でも、読んだ人だけが新たな扉を開くことができると思います。

これこそが、読書のだいご味なのではないでしょうか。